僕のこと(音楽編)

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Yuuki-T

201602007-1

高校時代

高校時代。なんとなく音楽は好きだけど特に楽器はやっていなかった。そんな中、高校の文化祭でバンド演奏が出来るということが分かり、高校の同級生とバンドを組むことに。

その際、何故かベース担当になる。

この時、高校2 年である。

その当時、ビジュアル系全盛期であり、僕自身もインディーズのビジュアル系バンドを発掘しまくる。その影響からか、当時の僕の前髪がビジュアル系バンドのアレな感じになっており、それが由来して「前髪最強」というバンド名で活動することになる。

3 年生の時に出た学園祭ライブが何故か卒業文集に載るという快挙を達成する。

高校卒業後

名古屋市内の某大学に入学する。

この頃、ビジュアル系マンセーな状態から洋楽のメロコアに傾倒していくことになる。また、ベースからギターに持ちかえる。

大学に入ったら軽音楽サークルに入ってバンドをやろう!!と実際に入ってみたが、先輩のバンドが「溢れるほどキ~ッス♪ Kiss!! Kiss!! Kiss!! 」と歌っているのを聴き、何故か絶望を感じてサークルをやめてしまう。その当時はまだ僕自身子供だったので、感受性が豊かだったということであろう。

なお、メロコアに傾倒してしまったが故に、「ギターなんてガーガー弾いてればイイんだよ!!問題は技術ではなくてストラップの長さだ!!」と間違った方向に進んでしまう。今思うと、これが僕の音楽人生の全ての元凶であろう。

外でバンドを組もう

大学のサークルに(勝手に)絶望を感じた僕は外でバンドを組もうと動き出す。その中、色々なバンドに属したのだが、20代前半の頃のイチバン思い出深いバンドは「キャデラック」である。

この「キャデラック」で活動し出した辺りからオリジナル曲を作るようになる。そう、僕がオリジナル曲を作り出したのは20歳を過ぎてからである。とても遅いスタートだと思う。

8 トラックくらいのMTR にドラムとかベースとか全部録音して仕上げた。クオリティーは糞であっても、僕の思い出として感慨深いものがあるバンドだった。

プロ志向バンドに加入する

その「キャデラック」がメンバーの都合で活動できなくなったので、また新しくバンドを組もうとする。その時に組んだのが「Jeshurry」というバンドだ。

それ以前はどちらかと言うとお遊びバンドだったんだけど、この「Jeshurry」からプロを目指すような動きになってきた。当時の僕もプロになりたいという気持ちがあったので頑張って活動した。

しかし、「Jeshurry」で活動し出してからどんどん気持ちが荒んでいくようになった。

全ては自分が悪いのだが、ギターの技量が他のメンバーの足を引っ張る形になり、スタジオの練習では周りから色々どやされる毎日だった。自分自身どんどん追い込まれる形になり、「バンドを辞めたい」と言っても色々あってスンナリとは辞めさせてくれなかった。

結局はバンドを辞めることになったんだけど、この時の事が完全にトラウマになり、人と音楽で接するということが出来なくなる。


DTM との出会い

「Jeshurry」を辞めてから、すっかり抜け殻になってしまった。それは、人生の全てをバンドに費やしていたから。まぁ、「この程度で抜け殻になるなんて甘い」って思う人もいるだろうけどね。

そんな時、スタジオ内にあった無料のフリーペーパーみたいなものにDTM のことが書かれていた。それを見た時、文字通り前進に稲妻が走った。

これがあれば僕ひとりで曲が作れるじゃん!!

先程書いたトラウマ化したバンド「Jeshurry」では曲を作っていた。もちろん、僕ひとりで全部作ったわけではなく各パートは各自に任せていたんだけど、DTM があればバンド組む必要もなく曲が作れる。

一気に目の前が明るくなり、バンド活動で使っていた機材を全部売り払ってMac とLogic を購入してDTM を始める。

この時、26 歳くらいだったと思う。

ブログを書き始める

DTM をやり始めたんだけど、その時の僕はMIDI とか言われても全然分からないし、Logic のマニュアルは半端ない量だし、何から手を付けていいのかサッパリ分からなかった。

その時にとにかくネット上にある情報を頼りにすすめることにした。

分からないことがあったらとにかくググる。ググる。ググる。

そうやって一歩一歩前進していった。

前進していくにつれて、「ネットにある情報に救われた自分なんだから、ネットにどんどん情報を公開して誰かを救う側に回らないと。恩返ししないと。」という感情が湧き上がってきた。僕のようにDTM がよく分からない状態で始める人もいるはずだから、そういう方がネットで情報を探した時に解決の糸口になればイイな、という思いからだった。

その時に書いたのが「どん底からのDTM 生活」というブログです。

作家を志望する

そうやってDTM で曲を作っていたところ、ネット上であるサイトを見つけた。それは曲を提供する作家として活躍されている方のサイトだった。そのサイトで作家という仕事があるのか!というのを知り、またその方とネットを介して教師生徒の間柄になりアドバイスなどを頂けることを知った。

僕はこれに応募した。

それからというもの、与えられた課題に添って曲を作り提出しアドバイスを頂き、その上で直して提出して・・・という毎日になった。

病み期突入

作家になるという目標を追いかけて毎日曲を作っていたのだが、だんだん心が荒んでくるようになった。その過程で、ずっと書いていた「どん底からのDTM 生活」も心の病みによって閉鎖した。

僕自身、ここら辺で自分という人間がよく分かってきた。

人に頼られると途端にプレッシャーとして受け止めて潰れてしまう。必要以上に責任を感じてしまう。誰かに頼まれてやるのではなく、自分がやりたいと思うことじゃないとストレスが溜まる。理論的に考えて説明するのが苦手で感覚として物事を捉える。などなど。

バンドであっても作家であっても、人を満たすということが出来ない人間だと知る。

だから、逆転の発想をするようになった。人を満たすのではなく、自分を満たそうと。この辺りから以前閉じたブログを「どん底からのDTM 生活 ~リターンズ~」として復活させた。

心から音楽を楽しむことにする

バンドもダメ。作家もダメ。結局何をやってもダメ。多分、社会では弱い人間として認定されると思う。根性ないなって真っ先に言われると思う。

でも、曲を作るのは好きだ。その好きなことを何で僕はいつの間にか嫌いになっているのか。そういう状況になる過程を思い出してみると、必ずどこかでやりたくないことをずっとやっている期間があることに気付く。

でも、それらは夢や目標を叶えるためにはしょうがないものだと思っていた。

ならば、夢や目標を変えてしまおう。

今まで「~になりたい」という目標を持っていたけど今は違う。今は「毎日を充実して過ごし、心から音楽を楽しむ」という目標を持って毎日を過ごしている。

そうすると、毎日の行動が変わってくる。

このブログでは

今は毎日を楽しむ。そういった心構えで音楽に接しています。

このブログでは以前書いていた「どん底からのDTM 生活 ~リターンズ~」で扱っていたDTM 系の記事から、僕自身が音楽に打ち込んでいる姿などを書いていきたいと思っています。

ひとりでも多くの人が「自分もまた音楽やってみようかな?」と思ってもらえるようなブログにしたいと思っています。